キーワードを入力して検索
クロスドメイン視座島田発想 × AI構成

日本庭園とシネマトグラフィー — 日本庭園の空間構成と映像の構図設計に共通する原理

クロスドメイン造園日本庭園構図シネマトグラフィーDP知見借景視線誘導

Curated by Ryo

なぜこの記事を選んだか

日本庭園をロケハンしたとき、「こうやって撮れよ/見ろよ」と言われている気がしました。 どう撮ろうかじっと見つめているうちに見えてきた、DP:シーン作りと、庭師:庭の設計の共通点の話です。

AI構成島田の発想・思考をもとに AI が構成しています。/ 選定・確認: 島田龍

京都のある日本庭園のロケハンで、70代の庭師さんとお話をする機会がありました。焦点となる石を一つ置き、それを軸に他の石を配し、そこから視線が自然に流れていくように庭全体を組んでいく。完成した庭を眺めながら、これはDPがフレームの中で主被写体を決め、前景と背景を重ね、観る人の視線を設計していくのと、ほとんど同じ作業かもしれない、と。

その直感が、どこまで本当なのか。造園と映像、それぞれの側で言葉になっている原理を、出典付きで並べてみました。

借景 — 庭の外を画面に引き込む

まず造園側で一番わかりやすいのが借景(しゃっけい)です。Wikipedia の borrowed scenery の項では、借景を「the principle of 'incorporating background landscape into the composition of a garden'(背景の風景を庭の構図に取り込む原理)」と定義しています(Wikipedia)。庭の塀の外にある遠くの山を、あたかも庭の一部であるかのように画面へ引き込む技法ですね。

京都の円通寺が有名な例で、比叡山を借景として庭に取り込んでいるとのこと(Wikipedia)。面白いのは、ただ山が見えればいいわけではない、という点です。同じ Wikipedia には借景の条件として「The designer edits the view to reveal only the features they wish to show(設計者は見せたい要素だけが現れるよう視界を編集する)」とあります(Wikipedia)。見せたいものだけを残し、余計なものを切る。これはもう、フレーミングそのものという気がします。

配石と視線誘導 — 龍安寺の「見えない一石」

借景が「外を引き込む」話なら、庭の内側で視線をどう動かすかが配石です。龍安寺の石庭はその極北で、Japan National Tourism Organization の解説には「The garden's fifteen stones are cleverly arranged so that there is always one rock that is hidden from view, regardless of where the viewer stands(庭の15個の石は、観る者がどこに立っても必ず一つは視界から隠れるよう巧みに配置されている)」とあります(Japan Travel)。

どこから見ても全部は見えない。逆に言えば、立ち位置によって見える石・隠れる石が変わるように石が組まれている。観る人の視点を前提に空間を設計している、ということですね。DPがカメラポジションを動かしながら、何を見せて何を隠すかを決めていくのと、発想がかなり近い気がします。

映像側の言葉 — 前景・中景・後景とリーディングライン

では映像側はどう語っているか。Filmmakers Academy は奥行きについて「depth in filmmaking refers to creating a sense of three-dimensionality within the flat, two-dimensional frame(フィルムメイキングにおける奥行きとは、平面的な二次元のフレームの中に三次元性の感覚を生み出すことを指す)」と書いています(Filmmakers Academy)。前景・中景・後景という層を重ねて、平らな画面を立体に見せる。

視線をどこへ導くかについては、リーディングラインという考え方があります。Backstage は leading lines を「elements within the frame ... that guide the viewer's eye toward a subject(フレーム内の要素で、観る者の視線を被写体へと導くもの)」と定義しています(Backstage)。廊下、道、塀、影。そういう線で視線を主被写体へ流していく。庭師さんが石の連なりで視線を流していたのと、やっていることは同じに見えるんですね。

接続点 — 「層で奥行きを作る」という共通言語

ここで両者がきれいに重なる箇所があります。借景の説明として、外の風景を取り込むことで空間の広がりの感覚を増す仕組みを「the four layers of foreground, middle ground, framing devices ... and background(前景・中景・フレーミングの装置・背景という四つの層)」と整理する記述があります(Wikipedia)。前景・中景・背景。これは映像側の奥行きの作り方と、ほぼ同じ用語です。

つまり庭は、実際の奥行きのある三次元空間を、縁側という一つの視点から眺める「絵」として組まれている。映像は逆に、二次元のフレームに三次元性を作り込む。出発点は逆向きですが、「層で奥行きを設計し、視線を導く」という原理を共有している、と言えそうです。

これは私の解釈で出典のある話ではないのですが、両者が偶然似ているというより、人間の見るという行為のほうに先に原理があって、庭師もDPもそれぞれの素材でそこへ到達しているだけなのかもしれません。

写真家の George Nobechi さんは借景について「While the term originally refers to garden design, as a photographer I regularly incorporate this concept into my photography, and chances are, you do this, too(この語はもともと庭園設計を指すが、写真家として私はこの概念を自分の写真に日常的に取り入れているし、おそらくあなたもそうしているはずだ)」と書いています(Nobechi Creative)。庭の言葉が、そのまま画面の言葉として通用してしまう。この越境のしやすさ自体が、共通原理があることの傍証になっている気がします。

庭を撮るとき、ファインダーの中で庭師の設計と自分の構図がぶつかる瞬間がありますね。あちらは数十年かけて石で視線を組み、こちらは数秒でフレームを切る。時間軸はまるで違うのに、目指している「視線の流れ」は同じ場所を向いている。クロスドメインで物を見ると、こういう景色が立ち上がってくるのが面白いところです。

Curated by Ryo

島田のコメント

よく見るとどの庭園も真南にあり、縁側から見ると東から昇り西に沈む太陽の位置と光質変化によって、時間ごとに異なる表情を見せるように設計され、かつ朝日と夕陽で(少し角度のついたバックライトで)もっとも美しく見えるようになってると思いました。 (庭師の方に太陽の位置を意識してるか聞いたら「そこは別に」とのことだったが…) でも縁側や床の間という比較的暗い屋内から、南方向の屋外=庭をみる、この構造が既にバックライトの設計になってるとも言えるのではないでしょうか? そういえば茶室の撮影でも似たことを感じましたね。 「ここから見ろ、そう想定して作ってる」と言われているような感覚です。 こういう視点を忘れずにいろんなものを刺激に、インプットにしたいなと思ってます。