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クロスドメイン視座AI要約 + 島田選定by fuze

落合さん、僕たちこれから、どう生きていけばいんですか?──人をAIが超えた世界で、人が幸福に生きる術【後編】

Curated by Ryo

なぜこの記事を選んだか

前の記事の続きです。 人類が賢さを手放す日、世界は一体どうなるか。──落合陽一氏に聞く、あと数十年後の未来像【前編】 https://ryoshimada.com/input/cross/item-dc70531d 私のメモが結構この後編と繋がってて面白いです。

AIが人の知能を超え、ホワイトカラーの仕事が消滅するといった未来への不安が広がる中、落合陽一氏のパビリオン「null²」は、そうした悩みを瑣末なものとし、より高次の視点から「賢さへの執着を捨て去った先に、これからを生きていく道がある」と問いかけています。前編では、すでにデジタルネイチャー化が進む世界や、機械が子育てを担う循環像など、落合氏が提唱するデジタルネイチャーの具体的な未来像が掘り下げられました。

本稿(後編)では、機械が水や空気と同じ「環境」となるデジタルネイチャーの世界で、私たち人間がいかに生きていくべきか、落合氏本人の言葉から探ります。

今私たちを取り巻く不安の正体とは

落合氏は、現代人が不安を抱いたり、生き方に悩んだりする理由について、「これまでのルールが通用しなくなることが、明白になりつつある」ためだと指摘しています。人類の歴史を振り返ると、2万年前の狩猟採集時代から、農耕社会、産業革命を経て、これまで人間は「努力したり、頭を使ったりすること」で自己実現や富を得てきました。しかし、これからは賢さも機械が担うようになり、人間は「やることがなくなる」ため、多くの人が「実存的な不安(生きている意味がわからなくなる不安)」を抱えるようになると説明しています。

鍵は、即今。一瞬一瞬をいかに楽しめるか

このような世界でどう生きていくかについて、落合氏は、デジタルネイチャーの世界では必要なものがすぐに生まれ、時間の捉え方が非常に刹那的になるため、人々は「ただ今を生きる」という考え方になっていくと見ています。その時代に重要なのは、「一瞬一瞬をどうやって楽しめるか」であり、これを茶道の言葉で「即今」と表現しています。未来を考えても仕方なく、想像もできないほど世界が変わっていく中で、特定の通念は役に立たなくなるため、自ずと記号を手放していくことになるとのこと。これは「一周回って狩猟採集時代に戻るようなイメージ」だとしています。

実存的不安を乗り越える生き方、マタギ

実存的な不安を乗り越えて生きていく方法として、落合氏は「マタギ的な生き方」を提案しています。これは柳田國男の言うマタギとは異なり、農耕している時もあれば山に入ることもある「境界民であり辺縁民」のことです。ポイントは、独自の信仰や儀礼を持ち、農耕社会から離れないこと。つまり、これからは特定のコミュニティに属しながら、辺縁で狩猟採集をするように新しいものを作り出していく(テクノロジーを活用して)生き方が面白いのではないかと考えているそうです。この考え方は、落合氏の著書『マタギドライヴ:計算機自然の辺縁における脱人間知性的文明論』でより詳しく解説されています。

すべては虚構だと気づければ、記号を手放せる

記号を手放すためのポイントは、「全てが虚構だと認識すること」だといいます。落合氏は、「フィクションとノンフィクションの差はない」と述べ、王権神授説や資本主義なども、皆が信じることで真実となる虚構であると説明しています。虚構と非虚構の間にあるのは、「その物語にコンセンサスが取られているかどうか」だけなのです。全てが虚構だと認識できれば、仕事やお金への執着も幻想にすぎないと捉えられ、記号を手放す一歩につながるとしています。

null²は、虚構をリセットする儀式

落合氏は、パビリオン「null²」が、この虚構をリセットする儀式であると語ります。虚構が乱立すると混乱や争いが生まれるため、皆が今信じているものが虚構であると気づくことができれば、相互理解が深まるのではないかとのこと。null²の儀式は、非虚構と虚構のバランスを崩し、物語をなくすことで対立軸をなくすことを目指しています。これは、全員が信じる虚構を一つにするのではなく、「全員がヌルになれば、虚構もなくなる」という考え方です。落合氏は、「お話がなければ時間もない。でもそもそも、何もなかったんだよ最初から。ということに自覚的になれるというのは、ある意味とても仏教的(五蘊皆空)ですよね」と述べています。

音楽を聞け、茶を飲め、そして祭りに参加せよ

具体的な記号の手放し方として、落合氏は音楽、茶、祭りを挙げています。「null²する音楽会」や「null²庵新世界茶会」といったシナリオでは、音楽の中で漂ったり、一杯のお茶を味わったりする瞬間に、人は意味から解放された純粋な状態、すなわち「滑らかなヌル」や「即今のヌル」になれると示唆されています。

また、「祭り」も重要な要素です。岡本太郎の言葉を引用し、「祭りは目的がないから祭りなのである」と述べるように、祭りには本来意味がありません。祭りは「祭りに参加すること自体が目的」なのです。落合氏は、人々が祭りに身を投じるのは「世界の意味を信じるためだった」とも言えるのではないかと考察しています。意味がなくなっても続けられる純粋な身体動作が、記号を手放すことにつながるというわけです。人が実存的な不安に陥るのは「意味のレイヤー」にいるからであり、それ自体が意味のないことだと気づいて「身体のレイヤー」に降り、意味のないことであると気づいた上で身体に戻った状態を祭りのように楽しむことが重要だと説明しています。

計算機を自然だと理解することが、記号を手放すことにつながる

落合氏は、「計算機を自然だと理解すること」が記号を手放すことにつながると考えています。自分たちが機械の自然に生かされていると納得し、そこに感謝を覚えられれば、「人間として生まれたんだから、祭りをしたりお酒を飲んだりして楽しく生きていこう!」と思えるようになるはずだといいます。生きていること自体を喜びと捉えられれば、ありのままを受け入れられるのではないでしょうか。

デジタルネイチャーの自然観を受け入れることができれば、今自分が生きていられるのは機械(自然)のおかげだと理解でき、身体活動ができていることそのものに喜びを感じられるようになります。時代が変わっても生きていくという事実は変わらないため、意味なんかに頼らず、本質的には身体性そのものを生きていく拠り所とすればよいのです。そうすることで、自分の中に幸福の軸を持ち、あらゆることをありのままに受け入れられるようになり、デジタルネイチャーの世界でも幸福に生きていけるとしています。

最後に落合氏は、「若い頃はノリノリになる瞬間ってたくさんあったと思います。大人になった今でも、1日1回ぐらいはノリノリになっていますか? すごく当たり前なことなんですけど、それが大切だと私は思います」と締めくくっています。

ムズムズも抱えたまま、ヌルッと生きよう

落合氏の提案は、「もっとヌルッと生きる」ということに集約されるようです。null²や関連作品で繰り返し語られる「ぼくたちの人生は続いていく」という言葉が示すように、どんなに世界が変わっても、私たち一人ひとりが生きていくという大前提は変わりません。テクノロジーが進化し、環境が変わっても人生は続いていくのであれば、あらゆる自分にさよならして、あとはただただ漂うように生きる。それが、これからの時代を生きる一つの道となるでしょう。


(元記事を AI が要約・抄訳し、島田が選定・編集したものです。原文: https://www.fuze.dj/2026/04/ochiai-yoichi-ai-2.html

Curated by Ryo

島田のコメント

計算機を自然と理解し、感謝する…なんか日本人ならやれそうですね。なんなら私もちょっとそうなり始めてる気がします。 ただこれからAIネイティブ世代として生まれてくる人達には敵わないでしょうね。それは「AIの使い方」みたいな意味ではなく、我々は本当の意味ではnullになれず、旧来の記号に囚われたまま老いていく一方、彼らは「意味のない人生」を上手く歩むと思います。 記号を失い、意味を失った時、何をしたいか考えておくことが我々世代には必要かもしれません。 あと大阪万博行けばよかった…