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DP知見島田発想 × AI構成

もう一つの長回し——ダルデンヌ『Jeunes mères』が選んだ「消えるカメラ」

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Curated by Ryo

なぜこの記事を選んだか

前のディーキンスのワンカット記事 https://ryoshimada.com/input/dp/deakins-oner-design について、ダルデンヌ兄弟の作品がノーライトらしいという話をXのリプでいただき、早速調べてみました。 ディーキンスとは全く違うアプローチで面白い!

AI構成島田の発想・思考をもとに AI が構成しています。/ 選定・確認: 島田龍

前回、ロジャー・ディーキンスが『1917』で実践した「ワンカット設計」について書きました。継ぎ目を感じさせないために、動線も光も徹底的に設計し尽くす——いわば**時間を技術で「作る」**長回しでした。

ただ、長回しにはもう一つの極があります。今回はその対極にいる一本、ダルデンヌ兄弟の『Jeunes mères(邦題 そして彼女たちは)』(2025年)を撮ったブノワ・デルヴォー(SBC)の仕事を見てみます。同じ「長回し」でも、思想がほぼ正反対なんですね。

『そして彼女たちは』とは

ジャン=ピエール/リュック・ダルデンヌ監督の新作で、2025年のカンヌ国際映画祭メインコンペティションで5月23日にワールドプレミアされ、脚本賞とエキュメニカル審査員賞を受賞しています(出典: Wikipedia / Festival de Cannes)。リエージュ近郊バヌーの母子寮を舞台に、5人の若い母親とその子どもたちを追う物語です(出典: Hollywood Reporter)。

予告編はこちら https://youtu.be/_M-ViMnUI2A?si=PDNdDfROd4NJuvDc

撮影のデルヴォーはダルデンヌ組の常連で、これが11作目。『ラ・プロミス』(1996年)から関わり、『その手に触れるまで』(2019年)以降は照明とカメラを兼任しているそうです(出典: SBC)。

「足し算をしない」光

まず驚くのが、ライティングの方針です。追加のシネマライトを一切使わず、自然光だけで撮っている(出典: SBC)。ダルデンヌ兄弟はロケハンの段階から「できるだけ軽く、照明を足さずに撮りたい」と希望したとのことです。

とはいえ、ただ放置しているわけではありません。大きな窓から差し込む光をコントロールするために、窓側に ND フィルター(ND0.6〜1.5)をプレキシガラスで挟んで仕込む、といった地道な調整をしています(出典: SBC)。「光を作る」のではなく「ある光を整える」。引き算の設計ですね。

参照先として挙がっているのも、ロッセリーニ、カサヴェテス、ピアラ、フレデリック・ワイズマン、溝口健二——ムードボードや作り込んだ照明を拒否し、ドキュメンタリーに近い手触りを志向する系譜です(出典: SBC)。

機材は「軽さ」で選ぶ

カメラは RED Raptor。スペックと重量のバランスで、ARRI Alexa 35 ではなくこちらを選んだとされています(出典: SBC)。レンズは Leitz Hugo シリーズ(フルフレーム・8K対応)、8K の 1.85 で、絞りは T2 を基本に、二人にピントを置きたい場面では T5.6 まで絞る、という運用です(出典: SBC)。

ハイスペックを誇示するための選定ではなく、「手持ちで長時間動き回れること」を最優先した結果の構成なのが面白いところです。

長回しを支える「身体」

そして本題の長回しです。カメラは手持ちで、女優たちの目線の高さに置かれ、長いときは10分に及ぶテイクもあったといいます(出典: SBC)。

ここで効いてくるのが、産業用の外骨格(エクソスケルトン)。カメラの重量を約4kg分肩代わりさせ、撮影者が長い手持ちショットを支えられるようにしている。さらにフォーカスとアイリスはモーター制御で、3人がかりで操作したそうです(出典: SBC)。テイク数は1シーンあたり平均5〜10回(通常の20回前後より少ない)、撮影は予定52日に対し実際38日で終えています(出典: SBC)。

カメラを「機械で支える身体の拡張」として捉えている——この感覚は個人的にとても共感します。長回しは結局、撮影者の身体がどこまで自由に、どこまで疲れずに動き続けられるか、という肉体の問題に行き着くところがあるんですよね。マシンと身体の対話、と言ってもいいかもしれません。

二つのワンカット——「作る」没入と「消える」没入

ここで前回の『1917』と並べてみます。

『1917』のワンカットは、継ぎ目を消すために動線・タイミング・光を緻密に設計し尽くすものでした。観客を途切れない時間に閉じ込めるための、いわば足し算の極致です。

一方『Jeunes mères』の長回しは、カメラやスタッフの存在を消すための設計です。デルヴォー自身が語る「invisible cinematography(見えない撮影)」——リハーサルの最初から演出と一体化し、技術の気配を消して、俳優と「いまこの瞬間」に没入させる(出典: SBC)。引き算の極致ですね。

正反対に見えて、実は同じ一点を目指しているのが面白いところです。どちらも「観客にカメラを意識させない」。設計して没入させるか、消して没入させるか。長回しとは技法の名前ではなく、「時間をどう体験させるか」という思想の選択なんだ、と改めて思います。

ドキュメンタリー(ワイズマン的な観察)の倫理を、フィクションの長回しに持ち込む——その緊張感が、ダルデンヌ作品の手触りを作っているのかもしれません。次に自分が長回しを設計するとき、「作る」のか「消す」のか、最初に決めておくべきだなと感じました。


出典

Curated by Ryo

島田のコメント

まだ本編観てないのですが、窓にNDだけでどれだけのシネマトグラフィーが実現できるのか、ちゃんと観たいですね。 予告編を見た感じは私の敬愛するケンローチスタイルに近い、ドキュメンタリー的な撮り方をさらに攻めた(多少フラットでも許容してそうだが、本当の意味での360°ライティングが実現されてる)印象です。 個人的には完全なドキュメンタリーでないならここまでやらなくても(少し照明や黒締めするだけで大きくシネマトグラフィーは改善するのに)…という気はしますが、それも監督の要望に応えるDPの宿命であり、作家性や新たな表現に繋がるかもしれませんね。