2026年上半期・映画鑑賞ノート——DPの目で何を見ていたか
Curated by Ryo
なぜこの記事を選んだか
私の映画鑑賞記録から、私がどのように各映画を観てるかまとめたものです。 皆さんも結構撮影者の目線で観ること多いんじゃないでしょうか?
私は映画を観る時、ほぼ無意識にシネマトグラフィーを分析してしまいます。あまりにもシネマトグラフィーが酷い(というのは作ってる人に失礼ですが)と集中できなくて観るのをやめるほどです。 でも本当に良い映画は、そういう分析的な視点をいつの間にか解除してしまいます。それが「良い映画」そして「良いシネマトグラフィー」の一つの定義だと思っています。
ハムネット——前半の「関心領域的撮影」が後半で消える
国際線の機内で観ました。シェイクスピアの妻の視点から描く物語で、ファーストシーンからテクノクレーンかジブ&リモートヘッドが時代設定(16世紀)に対して意外でした。ドリー・俯瞰・広角アオリなど、わりと現代的なカットが散りばめられていたのですが、後半からそれが気にならなくなりました。
後半はストーリーの重力——子供の死、夫婦の衝突——が私の映像分析眼がオフになるほど、私を物語に引き込んだんです。前半の撮影的野心(関心領域的撮影、と勝手に呼んでいます)が後半では不要だったのでは、という気もします。でも、後半もはや分析できてない引き込まれたのは、シネマトグラフィーがそれだけ物語に寄与していたということです。すごい。
オールド・オーク——「紡いでる」感覚
ケン・ローチ監督作。ヒューマントラストシネマ有楽町で拝見しました。
事前に「センチュリーすら置かず360°ライティング」と聞いていたのですが、観てみると確かに「描く・作るというより紡いでる」という感覚が漂っていました。このスタイルは、ストーリーに寄り添うことを第一義とした結果であり、「映像で主張しない」という意志だと思います。
『家族を想うとき』の方が個人的には上ですが、この哲学は自分が学びたい方向の一つにあります。ライティングに意志を持ちながら、それを前景化しない。
プロジェクト・ヘイル・メアリー——期待を持って観る喜び
原作の大ファンだったので、映像化されていない部分も頭の中で補完しながら観ました。グレイグ・フレイザーのシネマトグラフィーへの期待を抱いて劇場に向かい、それが期待を超えてきました。人生で好きな映画5本の指に入るかもしれないです。
「期待を持って観る」体験は、映像を学ぶ者として意識的にやっていくべきだと思っています。誰が撮っているかを知った上で観ることで、技法的な発見が深くなります。
シビル・ウォー——Ronin 4Dの使い方
アレックス・ガーランドの戦場カメラマン映画。ルックはナチュラリスティックですが、浅い被写界深度のハリウッドルックと Ronin 4D の組み合わせが印象的でした。あのジンバル特有の「追いかける感覚」が戦場のリアリティと合っていましたね。
手持ちとジンバルの使い分けは、自分の現場でも常に考えている問いです。「どちらが正しいか」ではなく、「何を伝えるためにどちらを選ぶか」という判断の積み重ねが DP の仕事だと思っています。
2026年上半期、映像観察として一番残っているのは「良い映画はシネマトグラフィー分析を無効化する」という体験です。それが悔しくもあり、正しくもある。撮る側になった時、それを目指したいです。
Curated by Ryo
島田のコメント
素晴らしい!と思った映画のDPのインタビューを観るとみんな必ず「物語に寄与するシネマトグラフィーを目指してる」と言います。必ずです。 誰も「美しい映像を作ることを目指してる」とは言わないし、それはあくまで手段と捉えてるんですよね。 「美しい映像を撮る」ということを、目的化していないか? それよりも、その映像を最も良くするには何をすべきなのか? これが一番大事なクエスチョンなんだな、と改めて思います。 今日お会いしたDPも、技術的なことではなく、 尊敬するDPの姿勢や哲学や考え方を学ぼうとされてました。本質はやはりそこなんですね